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レシムノに憧れて

雑記以外の何物でもないです。趣味はエコとギリシャです。

時間が湯水のような今日

さくっと予防的な摘出のため、入院しました。
いつも、時間がほしい、一人になって、プレピ(ギリシャ語です。英語で言うと、マスト。しなければならない。)から完全に解放されてゆっくりしてみたい…と漠然と夢見ていましたが、やってきました。
その日が。
でも本日限定です。明日は手術なので…、時間があっても苦痛が待ってることでしょう。今日だけはなーんのしばりもなく苦痛もなく、堂々とベッドでゴロゴロ本を読んでいます。

そんな日、書きたいことを少し書いてみようかと思います。

突然の自伝!!

我が家、今の我が家でなく、実家です。我が家は、今思えば誰かの助けが必要な家でした。
内気な母と社交的に見えてコミュニケーション下手な父。父母それぞれの親は社交的で経済的にも裕福なのですが、本人達は世間の常識とはかけ離れた世界観で生きています。
私が子供の頃から、両親は友達や外の世界との繋がりはほぼゼロでした。
そしてその閉ざされた家庭は、荒れていました。部屋は散らかり放題、猫を飼えばノミ屋敷、子供達も前髪が長かったりのボサボサヘアで、服も汚れていました。歯も毎日磨く習慣もなくお風呂もたまにしか入りませんでした。
また、子供も多く、経済的にはかなり貧窮していました。電話を筆頭に、ライフラインが止まることは何度もありました。
肝心の夫婦仲は最悪で、閉ざされた夫婦の罵り合いは、とても子供じみた、救いようのないものでした。
私たちはそれを毎日毎日目にして育ちました。

毎日とても辛かったです。本当に嫌でした。特に、幼い3歳くらいの子供が二人の争いをみてキョトンとしてたり、それが段々慣れて、それをみながらニコニコしてたりするようになりました。それが何より胸にぐうーっと突き刺さり、学校でもいつでも突き刺さったままで毎日を送っていました。
明らかに不潔、手をかけてもらえてない、なんだか情緒不安定。家庭訪問や三者面談ではモジモジしてまともに先生と話せない母親。不登校になっていく妹。怒鳴り声が近所中に響き渡る家。

私たちの心の救いだった猫も近所のお屋敷の人から庭に糞をすると度々クレームを申し立てられ、それでも母はなにもできず、毒を盛られ、痙攣してしんでいく姿を母と二人で呆然と見てたこともあります。結局大好きだった残った猫も、子猫を産んで子供達が喜んでいた直後、父がまとめてどこかに捨ててきてしまいました。

私たちは、なにも解決できず、迷惑ばかりかけるので、疎まれていました。

今思えば、誰か、誰か助けて欲しかった。

でもそのときは、必死で家のこの変なことを隠していました。
身だしなみ悪く、暗く生意気な私は、不潔で眉をひそめられることはあっても、心配してくれる人はいませんでした。


嘘です。一人だけいました。

隣に住んでいた奥さんです。
一番近くで、父と母の怒鳴り声、妹の泣き声、食器の割れる音…それを聞いていた奥さん。
私が一番辛く感じていた下の幼い妹を、きれいな整えられた清潔な家にいつでも招き、手作りのおやつを出し、嬉しそうにしている可愛い姿を写真に撮って渡してくれたり。大き過ぎて無邪気に遊びに行けない私たちのためには、クリスマスには手作りの大きなデコレーションケーキ、たまにピロシキを作ってくれたり、クッキーを焼いてくれたり、他人とうまく話せない母にの心にも寄り添い、あのころの私たちの、大袈裟でなく一筋の光でした。

弱々しく細い、年をとっていた奥さん。でも、奥さんが隣にいてくれることは、私たちにとって心のギリギリの所をつないでくれていました。
奥さんがバイクで買い物から帰ってきて、ただいまーと自宅に戻る声を聞くと、私たちはほっとしたものです。

あのころ、奥さんがいなかったら。

あのころ、奥さんがいなかったら。

私たちは今必死で社会でへまをしないように、よく知らない、教わらなかった、身につかなかった社交を必死で調べて子育てをしています。
あのころの父と母はやはり許せないけど、切り離して、今は清潔に、今の我が家を幸せに楽しく笑って暮らしています。

微妙なんです。私は、両親がそろってて、かなり貧しかったけど、ただ、だらしないだけだったのか。人には言えない貧しさ、不潔さ、両親のとことん内向的な醜い争いの中育ちました。
難しい。カミングアウトとかそういう類の事実でもなく、大きな別離も負債もないけれど、中途半端に不幸ってことになるのかな。

でも相当辛かった。その証拠に、私はその家が荒れてきた頃、12歳くらいの頃からオネショが始まりました。高校卒業して家を出るまで治りませんでした。異常ですよね。なんとか対面はごまかしていても、心はバランスがガタガタだったんです。それについても、気づいていながら親は放置てましたから、乾かしてない布団で寝続け、私は相当臭っていたろうと思います。

とめどなく溢れる想いです。

今は、親に対してなにも恨みもない、期待もない、元気で自分たちらしく生きて欲しい。親にはそれだけです。孫も大事にしてくれています。

けれども、私たちの育ち、子供時代は、変わることはなく、あれは私たちがずっと抱えていくものなのです。そして、まだあの頃と戦いを強いられてる子もいて、なんとか、なんとか!と手をぐっと握ってまだまだ見守っています。

私はギリシャに救われて大人になりましたから、私は大丈夫。

奥さん、奥さん、あのころの汚かった私たちは子供みんな、何十年たっても、奥さんの優しさはいつ思い出しても心をジーンと溶かし、動けなくなるんです。