レシムノに憧れて

雑記以外の何物でもないです。趣味はエコとギリシャです。

バルコーニに終止符

ギリシャ語では、ベランダをバルコーニと言います。
そして、そのバルコーニを大事にします。バルコーニでお茶を飲んだり、家族でご飯を食べたり、外を眺めたり、ただ黄昏たり…。
だから、ホテルやレントルームでも、バルコーニは大抵広く、テーブルセットがおいてあります。
アドリア海を挟んだイタリアになると、バルコーニ無し、あってもごく狭いのが当たり前だったので、文化の違いだなと思いました。

日本に戻って、そんな私のベランダ。

結婚する前に一人暮らししていた部屋はベランダがありませんでした。
一緒に住んで結婚した部屋は憧れのベランダはあったものの、ものすごく狭いものでした。
そして、いまの部屋は、私としては夢のように広いベランダで、この空間はまさにバルコーニで、大好きな空間です。

ここで頂点を極めた私のバルコーニ事情。

間も無く引越します。その一戸建ては、古くて、二階建てなのにベランダがありません!!
残念です…。

一階には、庭というかテラスがあるので、そこで黄昏ることにします。

紙オムツな日々

次女がお腹の調子がずっと悪く、紙オムツが続いています。
本当はお腹の調子が悪くても布でもいいのですが、最近布おむつ洗いを夫がやってくれているので、そこは夫が判断したなら口を出せませんでした。
それと自分も体調が悪かったので、動けない時に、ああ、オムツ濡れてるだろうな、すぐ替えなきゃ…っていうのと、おむつ洗い(最近は夫なのですが)がないのは、やっぱりかなり楽です。正直なところ。

でも、紙オムツ登場前は、どんな状況でも、布おむつしかなかったんですね。

大変だったろうな、昔は…

って思うのですが、もしかしたら、そこは当たり前に助け合っていたのかもしれません。体調悪いなら、元気な人がやる。洗うおむつの量が多ければ、何人かで洗う。

最近気付いたのですが、便利なものどれもこれも、おかげでお母さんが楽になったようで、実はお母さんが育児を一人で完結できるような錯覚をうんでしまった気がします。お母さんを一人にしてしまったのかもしれません。
育児は一人でできるはずがないのに、便利グッズがなければ、助け合っていたものが、助けてと言う発想もなくなってしまったのかもしれないと思います。

助けてとまで言わなくても、育児のちょっとした不安や大変さ、そして、喜び楽しみも、意識しなくてもそばにいる誰かと分かち合うのが自然な姿だったのかもしれません。

私も、今は中断してますが、夫が布おむつを洗ってくれるようになって、今日の次女のウンチ事情を共有できているだけでなく、おむつを通じて本当に子育ての同士のような絆が深まったと感じています。大げさな言い方ですが、いま考えてみたら、夫に対しての気持ちが本当にそんな風に変わったことに気づきました。

そしてその姿を長女が見ていることも、良いことだと思っています。
私はおむつ洗いは一人でやっていましたが、夫はまた長女に手伝わせたりしているので、その手があったか!と笑って見ています。

参加してませんでした!!

いやー、びっくりしました!
私、大阪在住ですが、ここ5-6年は中心部で働いてはいても、オフィスから保育園にダッシュでお迎えにいかなくてはいけないので、おまちの様子を知らずに生きてました。

働いてはいましたが、いや、やっぱり参加してませんでした。世の中に!
痛感しました!

久しぶりに、今日どうしても買わなくてはいけない物があり、心斎橋に行きましたが…。
いつのまに、あんなに外国人旅行者だらけに!!看板も中国語だらけ、taxFreeの表示…。ニュースや新聞では知ってましたが、ほんとに溢れかえる外国人旅行者でした。

なんだかカオスになってました…。

心斎橋筋商店街を南にくだるごとにキュウッとなり、物価もなんだか南下するごとに高くなるので諦めて北上して戻ると、安いし歩きやすくて、ホッとしました。

いやーびっくりしました。

何も感じないわけがない

この夏、ある人との出会いがあり、私が長年抱えてきた悩みや辛さをたった2時間その人と話しただけで、手放すことができました。
今思っても不思議です。
よく、いい言葉を見つけたり、それは真理!という考え方を知ったり、実践したりして、ああ私はこれで大丈夫だわーと思っても、長くて一週間。忘れたりもう効き目が切れたりして、元に戻っていました。
だから、今回も、その方とのお話が終わった後の爽快感が半端じゃない!何この身軽さ!!とびっくりしながらも、またすぐに戻るんだろうと思ってました。
もう10ヶ月もたって、戻るどころか、どんどん進化しています。できることがどんどん増えています。

とにかく毎日が落ち込まない。楽しい。心地よい。
人に左右されない。


そんな風に思っていたのに、ここ数日で立て続けに友達とのことで悩んでいました。どうしても友達の言動が許せず、久々に友達と喧嘩をしました。
日が経つにつれ、許せなかった自分が悪かったのだと自分を責める気持ちも浮かんだりしました。

その度、もう大丈夫と思っていたのに、まだ怒ったり自己嫌悪に陥ったりするなんて、私はまだまだなんだ…とがっかりもしました。
けれど、ちょっと待てと気付きました。
私は怒りもせず傷つきもせず悩みもせず反省もしない人間になるつもりでいたのか⁈と。そんな人がいるとでも⁈
よく考えたら当たり前のことでした。

何も感じない人なんているわけありませんでした。

明らかに前と違うのは、そのときに言いたいことを、言えたということ。良い人になろうとしなかったこと。ちゃんと正直な気持ちを伝えられたこと。相手の言い分も冷静に聞けて、気持ちを受け止めることもできたこと。仲直りもできたこと。怒るべきところはやっぱり怒ってよかった、と、立ち直りが早かったこと。
よかったと思えることもたくさんありました。

こうすべきだ、これが正しい正解だ、を手放せた、というのはどんなときにも私をた助けてくれているようです。自分の気持ち、心地良いほうを選ぶ、それだけで、私は何があっても、感情は動いても、それでも大丈夫です。

愛のこもったシェイビイングジェル

2年前。
ふと家を見渡してみると、特に意識したわけではなく、段々と洗剤が姿を消していった我が家。食器洗いはほぼアクリルたわしで洗剤なし。必要なときはフロッシュ。歯磨き粉もハンドソープもシャンプーも石鹸も自然派のもの。
洗濯は酸素系漂白剤とクエン酸で、掃除も家中、重曹クエン酸です。
こう書くと、めんどくさいこだわりの自然派に聞こえますが、単純にわくわくしながらこれ好き!これでいいじゃん!いけるじゃん!と変えていったらいつのまにかそうなっていたのです。

ペットもいて小さい子供もいたので、口に入ったらあぶない!がない、洗剤に関して危険がなくストレスフリーな我が家でした。

しかし!
よくよく見ると、ひとつだけ強烈な匂いを放つ、化学的なものが洗面台に…!

夫のシェイビイングジェルでした。
自分がノータッチな洗剤なので気づきませんでした。

その頃、アロマのワークショップに行き始め、こんな物も自然素材で作れるんだあ!と更に自分の好きな世界を広げていました。
子供も使えるハンドクリームやマッサージオイルなどなど…アロマオイルを使った自然素材のもの、まさに自分の好きなものにドンピシャで、とても楽しいクラフトタイムでした。

またその素敵なアロマの先生との出会いはとても大きく、そのとき夫に対して不満しか持っていなかったのが、先生と話す中で夫の今の状態を冷静に知ることができ、まずは夫を癒したい、大事にしたいと思うようになりました。それが、自分を大事にすることになるということもわかりました。

さて次回は何を作りたい?リクエスト受け付けますよ、と言ってくれた先生。

そのとき、シェイビイングジェルに気づいたのです。おそるおそるリクエストしてみると、OK!と、それまでメニューになかったのに、新たに調べて試作してレシピを作ってくれました。

そして先生に教わって初めて作ってからもう2年。もう先生との定期的なワークショップはなくなってしまったのですが、ずっと作り続けています。
夫が気に入って、前はストレスで吹き出物がでやすかったのに出なくなった、剃り心地も気持ちいい!と、なくなったら作って、とリクエストしてくれます。
そのたび、とてもとても嬉しい気持ちになります。
その後妊娠したときも、一度作れず、仕方なく夫が前に使っていた市販のジェルを買って使っていたら…つわりにはその匂いはものすごい破壊力でした。すぐに作りました。
アロマシェイビイングジェルは、使った後の洗面台の香りも爽やかでナイスです。

子供も2人になり、私もどんどんおばちゃんの要素が増え、夫との関係も以前の関係とは違うものになっていきつつありますが、シェイビイングジェルには間違いなく、私から夫への愛がこもっています。

とても簡単にできるし作るのも10分くらい、で、ジェルになっていくさまが楽しいので、誰かにすすめたいけど、そういえば進めたことがなかったので、書いてみました。

忘れたふりのザゴリア

ザゴリアの続き、すっかり忘れていました。というのは少し嘘で、見て見ぬ振り、忘れたふりしていました。
かえる、本当に本当に怖かったです。自分の人生、ここが一番の正念場だ、と自覚していたのをはっきり覚えています。
そろーりそろーり、かえるが何も動きませんようにと心の底から祈りながらすれすれの横を通り抜けました。
幸いかえるは微動だにせず、私も人生最大のピンチを乗り切ることができましたが、もしあそこで、かえるががあとか声を出したり、ただ一歩前足を少し踏み出しただけで、もしかしたら私は崖から人知れず転落していたかもしれません。

そのピンチを脱しても、いけどもいけども終わらないハイキングコース。アップダウンの激しい自然そのものの道。
ゴールして山を抜けカフェというものを見つけた時は心底、本当にホッとしました。あの時のコーラの美味しかったこと。スタンドで立ち飲みだったけど、疲れは吹っ飛びました。

しかしここはどこ?バス停からははるか離れて山を越えてしまいました。
いや、ここはお金で解決しよう。手持ちで足りるかわからないけど、タクシー呼んでもらってバス停に戻ればいいや。
しかしタクシー、その村にはそんなものすら存在していませんでした。お金なんて何の意味もありませんでした。
またいつか、続く。
懐かしいなあ。

ゼラニウム

今日、ある機会に飛び込んで、自分がこうありたい、という絵を自由に描く時間を与えられました。
何故か、最初に描いたのは、自分が地面に立っていて、その地面に自生するたくさんのゼラニウム
緑の葉っぱの、内側の太い縁取りのような模様も楽しく丁寧に描いていました。花は色々あれど、私の欲しいのは真っ赤なやつ。それがワサワサーッとたくさん自生してて欲しい。
それが、私の一番の願いなの⁉︎と自分でも意外というか、へえーと思いながら、いくらでもこれ描けるわーゼラニウム。とゼラニウム描いていました。
なんでなんでしょうね。
アロマとしてのゼラニウムも、絶大な信頼を置いているし、ローズに似ている香りもまじめな感じがして大好きです。
そして植物そのものの見た目も大好きです。繊細な雰囲気も持っていながらワイルドで。それでいて、あの赤にははっとさせられます。
好きの理由の多くはよくあるようにギリシャの街角には元気すぎる真っ赤なゼラニウムが欠かせない、ギリシャのポストカードには定番の花だから、好きになったのです。
でもそれはもはやきっかけで、心の奥底であのゼラニウムの存在がどんどん大きくなって、本当に理屈抜きでなくてはならない、大好きな植物になっています。
ゼラニウムという名前もなんとなくミステリアスで大好きです。

これが、プランターでなく、自生してくれたら本当に嬉しです。